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日本明治時代的文豪--森鷗外(中日文對照)

   

森鷗外是明治時代的文豪,既是醫生也是作家。可能因為他的官職是陸軍醫務局長的緣故,所以給人一種頑固死板的印象。

森家家世是位於島根縣西南部的津和藩藩主的內科醫生,祖父和父親兩代均是入贅女婿,之後生下的嫡子正是鷗外。他身負一家人的期待也是理所當然,從小便學習《論語》、《孟子》、《四書五經》,培育出了文學方面的才華。

13歲考進現在的東京大學醫學系,充分發揮了他的才華天份,是大學創辦以來最年少的19歲畢業生。之後,任職陸軍軍醫,22歲時留學德國。

他在德國和一位名叫愛莉絲的女子相戀,回國後,愛莉絲追到日本,差點成為醜聞。愛莉絲雖然追到日本,卻遭到森家全家人反對,只得傷心回國。這位愛莉絲正是鷗外的處女作《舞姬》的女主人公原型。

爾後不到半年,在周圍人的安排下,鷗外不情願地只看了照片而定下姻緣。但是,沒有愛情的婚姻不持久,維持不到兩年便結束。之後,鷗外一直持續著11年的單身生活。其間,有人來說了幾次媒,但鷗外都不理會。

鷗外在41歲時,總算決定再婚。第二位妻子茂子長得非常漂亮,當時還很年輕,只有23歲,不過她跟鷗外一樣,有過一次失敗的婚姻。

婚後,兩人來到新的工作地點小倉,過著新婚生活。然而,兩個月後,也是因工作上的調動而回到東京,與鷗外的母親峰子共同居住。

峰子不但緊握家計大權,也時常照管鷗外的生活瑣事。如此,引發婆媳戰爭。算起來,鷗外袒護母親的次數比較多。茂子終於變得不願意和峰子說話,也不想和峰子碰頭,單獨一人在其他房間吃飯。

鷗外夾在妻子和母親之間左右為難,為了間接勸導妻子反省,發表了一篇暴露森家家庭內情的小說〈半日〉。〈半日〉中詳細地描述了婆媳間的糾紛。好勝又歇斯底里的茂子看了〈半日〉,不但不反省,反倒勃然大怒。婆媳問題鬧了14年,一直持續到峰子過世為止。

不過,鷗外肯定深愛著這樣的妻子。茂子似乎也深愛著丈夫鷗外。

鷗外在晚年患上肺病和腎臟病時,堅持不接受醫生的診斷,茂子哭得雙目紅腫才說服了丈夫。結果,鷗外將驗尿瓶送到身為知己的醫生之處時,附上如下的便條。

「這並非鄙人的尿水,而是吾妻的淚水。」

森鷗外

森鷗外といえば明治の文豪、医者でありながら作家でもあった人物だ。陸軍医務局長という役職のせいか、お堅いといった印象が強い。

森家は島根県の南西に位置する津和野藩の藩主に仕える内科医の家柄であり、祖父と父が二代にわたって入り婿が続いたあと、嫡男として誕生したのが鷗外である。一家の期待を集めるのも当然で、幼いころから『論語』や『孟子』、『四書五経』を学び、文学的才能を育んでいった。

13歳にして現在の東京大学の医学部に入学すると、その秀才ぶりを遺憾なく発揮し、大学始まって以来、最年少の19歳で卒業している。その後、陸軍の軍医として勤めていた鷗外は、22歳のときにドイツに留学。

ドイツで、鷗外はエリスという女性と恋仲になり、鷗外が帰国したあと、エリスが日本まで追いかけてきて、危うくスキャンダルになりかかった。彼女は追いかけてきたものの、森家一同の大反発によって、傷心のうちに帰国した。そのエリスこそ、鷗外の処女作『舞姫』のモデルであった。

それから半年もたたないうちに、鷗外は周囲の進めるまま、気の乗らない写真婚をする。けれども、愛情のない結婚生活は長続きせず、2年たらずで破綻してしまう。以後、鷗外は11年にわたって独身生活を続けた。その間、何度か縁談話が持ち込まれたものの、鷗外は取り合わなかった。

鷗外が41歳になったとき、ようやく再婚する気になった。その二人目の妻、茂子は大変な美人で、当時まだ23歳という若さだったが、鷗外同様、最初の結婚に失敗していた。

結婚後、二人は転勤先の小倉で新婚生活を送る。だが、2カ月後、やはり転勤により東京に戻って、鷗外の母峰子と同居することになった。

峰子は家計を握って離さないうえに、何かと鷗外の世話を焼きたがる。そうして、嫁と姑の戦争が勃発した。鷗外はどちらかと言えば母の味方をすることが多い。茂子はとうとう峰子と口を聞くのも嫌、顔を見るのも嫌になり、ただ一人別室で食事をとるようになった。

鷗外は妻と母との板挟みで悩んだ末、妻に反省を促す意味を込めて、森家の内情を暴露する小説『半日』を発表した。『半日』には嫁と姑との確執が事細かに描かれていた。気が強くてヒステリックな茂子は『半日』を読んで、反省するどころか激怒した。嫁姑のいさかいは14年間にわたり、峰子が死ぬまで続いた。

だが、そんな妻を、鷗外は深く愛していたに違いない。茂子もまた夫鷗外を深く愛していたようだ。

鷗外が晩年、肺と腎臓を病んだとき、頑として医者の診断を受けようとしなかったが、茂子は目が腫れるほど泣きながら説得した。結局、鷗外が検尿の瓶を親友である医者に届ける際、次のようなメモを添えた。

「これは小生の小水には御座無く、妻の涙に御座候」

森鴎外書籍

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Comment

  1. 宅貓大福 より:

    Dear Miya

    Hi,新年快樂,將進一年都沒來你這了,抱歉啊。
    去年很忙,忙工作忙照顧4只老宅貓們,我現在在走你之前走的路,有一只宅貓(跟你家小黑一樣的黑貓)
    去年9月診斷出腎臟病,惡化的很快,又合病肝炎跟口炎體重掉的只剩一半,瘦的皮包骨,醫生本來建議我插鼻管灌食,實在不忍心,想說讓他好過一點在家照顧他,所以現在也是3天去獸醫那打營養針。
    現在瘦成這樣很心疼,不過不能讓笨寶知道我很擔心不然他會更害怕,原本就沒膽了說,呵呵:)

    我記得你的書裡也有介紹過森毆外這個人。不過要在翻出來看才有印象。

    只想
    祝你新年快樂,家中大小平安。
    心想事成

  2. 茂呂 美耶 より:

    宅貓大福,新年快樂。
    原來你現在也在忙著跑動物醫院,腎臟、肝炎、口炎,唉,難怪體重會直線掉。我家之前的老貓是口炎+腎臟,口炎+糖尿病,臨死前體重只有2公斤,真的是皮包骨,看得很心疼。
    你繼續加油吧,不要弄插管、灌食什麼的,那樣會很痛苦,就讓他安心在家自然往生比較好。加油!加油!

  3. 宅貓大福 より:

    對了,你的腳好點了嗎??注意健康哦

  4. 茂呂 美耶 より:

    還是一樣,上下樓梯膝蓋會痛,雖然每星期去一趟整骨醫院整骨,還是沒法痊癒。幸好房間搬到樓下了,日常生活都在樓下過。

  5. 宅貓大福 より:

    欸,有年紀退化就是這樣,人跟貓/動物都是這樣,還好你還能把起局移到樓下,至少你會方便一點,不過還是要注意健康。

    我忽然想到每次從獸醫那打完營養針回家時,獸醫都對我說:要加油啊,加油啊。
    都不曉得是叫我要加油還是叫小寶(黑宅貓)加油。

    總之,你也加油努力治療膝蓋吧!

    加油,加油

  6. 茂呂 美耶 より:

    我記得日本曾興起「不要加油運動」,就是說,對癌症末期的人,不要再給他們「加油」了,因為這會給患者帶來心理上的負擔。可是,我自己是癌症倖存者,我覺得,就算是癌症末期,也需要第三者的「加油」(祈禱)力。其實第三者或是完全陌生人的「加油」,對當事者來說非常重要。

    獸醫說的「加油」,應該是對飼主(妳)說的。我說的「加油」,也是對飼主「妳」說的。貓咪不會上網嘛,牠們最信任的就是妳和妳先生。所以你們要「加油」,讓小寶在最後期間感到安全地走,這點最重要啦。

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