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坂本龍馬の妻 お龍

      2013/09/15

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坂本龍馬の妻の名は、お龍といい、龍馬が仲の良かった姉乙女に宛てた手紙では、「おもろしき女」「とっぴな女」「げにもめづらしき人」と紹介されている。

土佐藩士佐々木高行(ささきたかゆき)は、「有名なる美人のことなれども、賢婦人や否やは知らず、善悪ともになし兼ねるように思われたり」と日記に書いた。

お龍は一八四一年生まれで、龍馬より六歳年下になる。父は京都の町医者で、幼いころから暮らしは裕福だった。

しかし、お龍が二十二歳の時に、父は、幕府による勤王派の大弾圧事件「安政の大獄」に連座、死罪は免れたものの、ほどなく病死した。

父が残した家財は、新撰組が過激派浪士たちを奇襲、捕縛した「池田屋事件」のどさくさで押収され、一家は生活に困窮し、あげくは二人の妹たちが女衒(ぜげん)の手によって遊郭に売り飛ばされようとした。

この時、お龍は刃物を懐に隠して、女衒と直談判したのである。すったもんだの末、結局、お龍は見事に妹二人を連れ戻すことに成功した。

龍馬はそれを見かねて、救済の手をさしのべた。自分が定宿としていた伏見の寺田屋に、お龍を養女として預けたのだ。

慶応(けいおう)二年(一八六六)正月二十二日、龍馬が寺田屋で伏見の奉行所(ぶぎょうしょ)に襲われる事件が起きた。この時、お龍は、暗い庭に人の気配がすることを察知、素っ裸(すっぱだか)のまま風呂場から飛び出して急報し、龍馬を救った。

この一件を境にして、二人は急速に接近することとなり、夫婦となったようだ。

お龍は、西郷隆盛の媒酌(ばいしゃく)で龍馬と結婚したが、その結婚生活はたった二年たらずで、龍馬の暗殺事件によって終わりを告げた。

龍馬の死を知らされたとき、お龍は、ショックのあまり泣くこともできずに、茫然と立ち尽くしたという。

このあと、龍馬の遺言によって、お龍は、いったん、龍馬の盟友である長州の三吉慎蔵(みよししんぞう)に託された。

龍馬が実家の坂本家ではなく、三吉にお龍を託したのは、気の強いお龍と、やっぱり気の強い姉乙女をはじめとする坂本家の人々との衝突を心配したのだろう。

だが、海援隊士(かいえんたいし)らの協議で、お龍は、まもなく土佐の坂本家に引き取られた。

龍馬が生前に心配していたとおり、勝ち気なお龍は坂本家で嫌われ、完全に孤立し、ついには坂本家を出ることになる。

一説によると、とくに龍馬の姉乙女には嫌われ、「非行があった」という理由で追い出されたとも言われる。しかし、お龍本人は「乙女さんには親切にしてもらいました」と後年で語っている。

坂本家を出たあと、お龍は、自分の親戚の家にしばらく身を寄せるが、まもなくそこを去り、明治二年(一八六九)の夏に京都に戻る。

時が流れ、明治八年(一八七五)、お龍が三十五歳のとき、横須賀に住む妹の家に身を寄せ、ひょんな縁で、隣家の西村松兵衛(にしむらまつべえ)と再婚、西村ツルと名乗り、横須賀で暮らした。

ただ、当時は現在のような戸籍法もなく、西村と正式な式を挙げたわけでもないので、いわば「内縁(ないえん)」でしょうね。

だが、龍馬の妻という誇りと夫に先立たれた無念さは、再婚によっても癒されることはなかったらしい。酒を飲んだくれては、「わたしは龍馬の妻よ」とわめきちらし、手もつけられなかったという。

五十七歳のお龍と会った人の話では、丸顔で愛嬌があって、魅力に富んだ涼しい瞳をしており、濃艶(のうえん)なお婆さんだったという。

洗いざらした袷(あわせ)と、色の褪せた黄色いちゃんちゃんこを着ていたというから、裏長屋(うらながや)での貧しい暮らし振りがわかる。

明治三十九年(一九○六)、六十六歳でお龍は世を去った。松兵衛が建てた墓碑(ぼひ)には、「坂本龍馬之妻龍子之墓」と刻まれている。

 

坂本龍馬的妻子 阿龍

 

坂本龍馬的妻子,名為阿龍,龍馬在寄給關係親密的姊姊乙女的書信中,描述阿龍是個「有趣的女子」、「古怪的女子」、「實在是很罕見的女子」。

土佐藩士佐佐木高行(江戶時代末期的武士,明治時代的政治家)則在日記中記載,「雖然是個出名的美女,但不知能否成為賢妻良母,看似善惡兼具的女子」。

阿龍生於一八四一年,比龍馬小六歲。父親是開業醫,從小過著富裕生活。

然而,阿龍二十二歲時,父親遭受幕府對勤王派的大鎮壓事件「安政大獄」的連累,雖然沒有被處死刑,卻在不久後即病逝。

父親留下的家產,在新撰組突襲捕捉極端分子浪士的「池田屋事件」之騷動期間中,全被查抄,一家人的生計陷於困境,最後,兩個妹妹還險遭被人販子賣到妓院。

這時,阿龍懷中藏著刃具,和人販子直接談判。經過一場爭論,阿龍終究成功地帶回了兩個妹妹。

龍馬看不過去,對阿龍一家人伸出援手。他讓阿龍以養女身分,託付給自己常住的旅館伏見的寺田屋。

慶應二年(一八六六)正月二十二日,龍馬在寺田屋遭伏見官廳襲擊。這時,阿龍及時察覺了漆黑院子中有人的動靜,光著身子衝出浴室告急,救了龍馬一條命。

據說,正因為此事件,兩人很快便親密起來,最後成為夫婦。

雖然阿龍經由西鄉隆盛做媒與龍馬結了婚,但兩人的婚姻生活僅維持了一年多,即因龍馬暗殺事件而告終。

得知龍馬的死訊時,阿龍過於震驚,連哭都哭不出來,只是茫然若失地呆立在原地。

之後,基於龍馬的遺言,阿龍暫且委身於龍馬的盟友長洲藩士三吉慎藏家。

龍馬沒有讓妻子回到原生家庭的坂本家,卻託三吉幫忙照顧,可能因為擔憂性格倔強的阿龍,會和同樣性格剛毅的姊姊乙女,以及坂本家眾人發生衝突吧。

然而,海援隊隊士們商議後的結果,決定讓坂本家領阿龍回去。

事情果然如龍馬於生前擔憂的那般,好勝的阿龍在坂本家遭到嫌棄,陷於孤立無援的立場,最終決定離開坂本家。

若根據另一種說法,則是龍馬的姊姊乙女特別討厭阿龍,以「行為不端」為由,將阿龍趕出家門。不過,阿龍本人於晚年描述:「乙女姊姊對我很親切。」

阿龍離開坂本家後,有一段期間住在自己的親戚家,但不久又離開該處,於明治二年(一八六九)夏天返回京都。

光陰流逝,明治八年(一八七五),阿龍三十五歲時,寄居於住在橫須賀的妹妹家,因機緣巧合,同鄰家西村松兵衛再婚,改名為西村鶴,一直住在橫須賀。

只是,當時沒有現代所謂的戶籍法,阿龍也沒有和西村舉行正式婚禮,應該說是姘居關係。

然而,阿龍似乎沒有因改嫁而療癒了身為龍馬的妻子的自豪感,以及丈夫比自己先過世的遺憾。她經常酗酒,喝醉時會大吵大鬧說「我是龍馬的妻子」,任何人都拿她沒辦法。

有人見過五十七歲時的阿龍,根據該人描述,當時的阿龍一張圓臉,嫵媚可愛,雙眼明亮,富有魅力,可說是個姿容濃艷的阿婆。

據說阿龍當時身穿一件洗得退色的夾衣,其上再披著褪色的黃長棉坎肩,由此也可看出阿龍當時過的是陋巷簞瓢的貧窮日子。

明治三十九年(一九○六),六十六歲的阿龍與世長辭。松兵衛為她建立的墓碑上,刻著「坂本龍馬之妻龍子之墓」的文字。

坂本龍馬書籍

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