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豐臣秀吉與貓

      2013/09/15

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自古以來,日本人養貓的目的並非在於貓具有捉老鼠本領的實用性,而是把貓當做寵物。古典文學《枕草子》以及《源氏物語》中,均有用繩子拴住備受寵愛的貓,而且貓脖子還掛著牌子的場景描述。

戰國武將也有不少愛貓人。首屈一指的是綽號為「猴子」,完成統一天下大業的豐臣秀吉。看秀吉的肖像畫,他的面貌其實不像猴子,反倒酷似「老鼠」。

事實上,秀吉的主君織田信長正是喚他為「禿鼠」。老鼠與貓,理應交情不好,但這位禿鼠秀吉卻非常愛貓。

豐臣秀吉在大阪城養了貓。那隻貓到底是什麼樣的貓,如今已無從獲悉,但秀吉極為寵愛那隻貓。然而,文祿2年(1593年)10月,那隻貓莫名地失蹤了。貓突然離家出走不回來,通常是為了尋求母貓,跑得太遠而迷了路。秀吉的愛貓大概是公貓吧。

統治天下的秀吉,命任職司法奉行的淺野長政尋貓。淺野長政是豐臣政權下的最高位奉行,相當於現代的法務大臣。也就是說,內閣總理對法務大臣下令:「把我的貓給找回來!」這分明是公私不分,但長政不敢違命。

長政費盡心思到處找貓,可大阪城太大了,何況應該也有很多樹叢,根本不可能找到貓。束手無策的長政寫了一封信給一位正在建築伏見城,名叫野野口五兵衛的人。

「聽說閣下有一隻黑貓,兩隻虎皮貓,能不能把虎皮貓中比較漂亮的那隻借給我一陣子。我這邊也會盡力尋找失蹤的貓,到時候會把貓還給你。」長政在信中如此懇求。

雖然現在仍存留著這封關於貓的借據,可惜我們後人無從得知秀吉究竟有沒有看中借來的貓,以及逃掉的貓是否找著了。不過,既然長政想借的是虎皮貓,可見秀吉的愛貓肯定是虎斑貓。

總之,即便憑藉天下人的太閤勢力,也無法在大阪尋得一隻貓,還得特意拜託住在伏見的人,由此可知當時的貓有多貴重。

附帶一提,秀吉在大阪城時,睡的是床榻。床榻長7尺(約2.3米),寬4尺(約1.3米),高1尺4寸或1尺5寸(約43厘米~45厘米)。金屬零件全部使用黃金。臥室大小則為9間(約30米)見方。

(註:「間」(ken)為日本的長度單位,主要用在土地、建築物,「一間」為6尺,約1.818米。)

 

豊臣秀吉と猫

日本では、猫にネズミを捕らせるという実用的な目的よりも、愛玩用として飼う傾向が古くから続いていた。古典文学の『枕草子』や『源氏物語』には、猫が紐に繋がれ、しかも札まで付けていて、大切に飼われている光景が書かれている。

戦国武将とて猫好きな人がかなりいる。まず、トップにあげられるのはあの「猿」と渾名されていて、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉である。秀吉を描いた肖像画を見ると、その顔はあまり猿には似ていなくて、むしろ「ネズミ」にそっくりである。

実際、秀吉の主君、織田信長などは彼を「はげ鼠」と呼んでいた。鼠と猫は、本来仲がよくないが、はげ鼠こと秀吉は猫が大好きだった。

豊臣秀吉は大阪城で猫を飼っていた。その猫がどういう猫だったのか、今となっては知るよしもないが、秀吉はその猫をことのほか可愛がっていた。だが、文禄2年(1593)の10月、その猫はなぜか行方不明となった。猫が突然家出して帰ってこないというのは、大抵メス猫を求めて遠出してしまい、迷子になった例が多い。秀吉の愛猫は多分オス猫だったのだろう。

天下人の秀吉は、司法奉行である浅野長政に命じて、猫をさがさせた。浅野長政は豊臣政権下の筆頭奉行であり、現代で言えば法務大臣に当たる。要するに、総理大臣が法務大臣に、猫をさがして来いと命じたのだ。これは明らかに公私混同であるが、長政は逆らえない。

長政は懸命にさがしまわったが、なにしろ大阪城は広すぎて、立ち木の茂みも多いだろうから、猫なんぞみつかるわけがない。困り果てた長政は、伏見城普請にたずさわっていた野々口五兵衛という人に手紙を出した。

「貴殿のところに黒猫が一匹、虎毛の猫が二匹いると聞いたが、虎毛の猫のうち、美しい方をしばらくのあいだ拝借願えないだろうか。当方でも力を尽くして行方不明の猫をさがし出し、借りた猫はお返しする」と、長政は手紙の中でそう懇願した。

この猫の借用書は現在も残っているのだが、秀吉ははたして借りてきた猫を気に入ったかどうか、そして逃げた猫は見つかったかどうかについては、残念ながらよくわからない。ただし、長政が虎毛の猫を借りたいというからには、秀吉の愛猫は茶トラだったに違いない。

とにもかくにも、太閤様の威勢をもってでさえ、大阪で猫一匹を調達できなくて、わざわざ伏見にいる人に頼んだりして、当時の猫がいかに貴重だったかが窺われる。

ちなみに、秀吉は大阪城でベッドを使って寝ていた。そのベッドのサイズだが、長さ7尺(約2.30メートル)、幅4尺(約1.30メートル)、高さ1尺4、5寸(約43~45センチ)。金具はすべて黄金が使われていた。寝室の広さ9間(約30メートル)四方だった。

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